淵海子平(えんかいしへい)とは

「淵海子平」は四柱推命の中国における源流であり、五百年以上の歳月をかけて編纂された易学書です。

唐の時代、六十干支暦をもとに李公虚中が「淵海子平」を発想し、北宋時代(960~1127年)に周康渓、程明道、程伊川兄弟の三人の学者によってまとめられた陰陽五行の理論を加えて、徐公升が『淵海子平』という書にまとめました。

「人の運命は、子の水のごとくいつも静かとは限らない。波風が起きるのは当然であって、人が成功したり幸せになることは、淵海(深い大海)で真珠の玉を探し当てるほどに難しく、また努力を要する。
だからこそ、この書を読むことによって自分の長所短所をよく知り、不幸・災難を防ぎ、幸せな人生を歩んでほしい。」徐 公升(北宋時代960〜1127年)

この難解な運命学の書は徳川時代の中期に日本に伝わり、生まれた年・月・日・時という四つの柱から運命を占うところから、日本ではこれを四柱推命と名づけ、日本に合致するよう修正・改良が加えられて今日に至っています。
しかしながら四柱推命は淵海子平の全てを網羅している訳ではありません。

加藤乾修(かとう かんしゅう)先生といちだぱとら

加藤乾修先生は昭和4年、東京麻布に生まれ、易占家の父の跡を継ぎ33年から淵海子平の研究を続けてこられました。易と神道の融合をテーマに生涯研鑽を積まれた方です。

私の母・いちだぱとら(1942〜2025)は日本最初期のスタイリストとして広告業界で長年活動しておりましたが、引退後どうするかについて、愛読していた占いの本の著者である加藤乾修先生に相談をしたのです。90年代始め頃のこの出会いが母の転機になりました。

具体的には、お店を開きたいと考えていた母に加藤先生は「それはあまり良くありません。それよりとても易者に向いているので教えますからやりませんか」と強くお勧めになりました。おそらく母の命式に天徳貴人と学士があり、何より印綬正官の格が成立しているのを診てのご判断だったのではないかと推察します。

それ以来母は人生でかつてなかったほどの勉強量で打ち込み、すぐに加藤先生のご著書の誤植を指摘するほどになりました。息子の眼から見ても母は易に向いていたと感じます。 間もなくたくさんのお客様を看命させていただくようになり、女優さんをはじめ多くの著名な方々もいらっしゃいました。

母の易のお客様が増えるにつれ、淵海子平の複雑な命式表の計算が負担になることは明白でした。そこで当時ちょうどMacを購入したばかりだった私は命式表を即座に算出できるHyperCardスタックを作りました。90年代初め頃です。このサイトはそのとき書いたHyperTalkが基になっています。

このサイトの方針

加藤先生も母も鬼籍に入り、このままでは淵海子平という先人の築き上げた叡智が失われてしまうのではないか、という危惧からこのサイトを公開しました。

淵海子平が編纂されてから時代が大きく移り変わり、現代に於いて今なお易というものが有効なのかは意見の分かれるところではないでしょうか。
個人的には、初めこそ「生年月日で人生がわかるなんて」と懐疑的でしたが、すぐにその考えを改めることになりました。迷信や偶然とは思えない気付きがあったからです。

ただ、命式をご覧になればわかるように、相反するような内容が出てくることも多々あり解釈が容易ではなく、命式表をどのように読み取るかは易者の能力に強く依存します。このサイトでは加藤乾修先生の意志を継ぎ、各項目の内容をなるべく詳しく説明しています。一見矛盾するような複数の要素が絡み合うことで、人生という複雑な物語が形成されているのかもしれません。

いずれにせよ、自分を知ることで危険を避けたり、より良く生きるためのヒントになることを願っています。

  • 当サイトの内容は加藤乾修先生から母が易を教わる過程で頂いた大量の資料、淵海子平について書かれた古書、そして母から直接教わったことに基づきます。
  • 時差は考慮しません。出生地時刻の干支を採るべきという加藤乾修先生の方針です。
  • 生まれた時刻が不明でも計算できますが、確度は下がります。特に(時)の付いた各吉凶星は成立しない可能性がある点に留意してください。
  • 大運については計算方法が現在の四柱推命とは異なることもあり、検討中です。
  • 鑑定結果に関してはあくまでひとつの目安であり、必ずそうなると保証するものではありません。
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